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テコンドーとは?

テコンドーの歴史

テコンドーは1955年4月に、当時韓国の陸軍少将であった故・崔泓熙(チェ・ホンヒ)氏[1918〜2002]によって唐手(空手)や朝鮮古武道(テッキョン)も参考にしつつ、研究開発され体系化された近代武道です。

東洋の倫理道徳を精神的根幹とし、攻撃と防御の方法には軍隊戦術を採択し、現代科学の原理をもって人体の持ち得る最大のパワーを出せるように体系化されています。

テコンドーはその後も今日に至るまで研究と開発が続けられ、現在テコンドーを実践する多くの人々によって世界130ヶ国以上に広められ、現在の修練者人口は3800万人にも達していると言われております。数ある武道の中では歴史的には後発ながら急速に普及してきているのです。

崔泓熙 写真
創始者 崔泓熙(チェ・ホンフィ)

1918年11月9日
朝鮮半島北部の咸鏡北道で、崔泓熙(チェ・ホンフィ)総裁は生まれた。幼い頃から体が弱かった彼は、有名な書道の大家で古武術(テッキョン)にも造詣の深い、韓(ハン)イルドン氏に師事する。書道とテッキョンを学んだ彼は、次第に健康を取り戻す。

1937年
18歳の時に、近代教育を受ける為に来日。京都で同郷の先輩・金氏に空手を習い始める。

1945年8月
第二次世界大戦後のソウルで、韓国国軍創立メンバーの一員となった彼は、翌1946年には韓国陸軍少尉となり、軍隊に武道を教え始める。



命名「テコンドー」

テコンドーは、青涛館(1945年、イ・ウォングク)、智道館(1946年、チョン・イルソプ)、松武館(1946年、ノ・ビョンシク)、昌武館(1947年、ユン・ビョンイン)と武徳館(1950年、ファン・ギ)、吾道館(1954年、チェ・ホンフィ)の開館から始まった。 現在のITFの母体となった吾道館を開館したチェ・ホンフィは、自ら日本で学んだ空手の優れた武道体系を土台に、更なるアップグレードを目指して様々な専門家と科学的研究を進めた。

1953年
済州島モスルポに陸軍第29師団が創設されるや武道教育が始まった。しかし当時、この武道は「タンスド(唐手道)」や「コンスド(空手道)」などと呼ばれていて、名称が統一されていなかった。

1955年4月11日
「名称制定委員会」を通し、「テコンドー」と命名され1959年3月にはテコンドーの名で初の海外演武が始まった。大韓テコンドー協会が創立されたのも、この時期(1959年)である。

1962年6月20日
テコンドーは大韓体育会競技団体に加入し、1964年には全国体育大会正式種目に採択された。 この頃、チェ・ホンフィはマレーシア初代韓国大使に任命される。 在任中には現在の型(トゥル)を創作し、テコンドーの技術的基礎を作り始める。

1966年
ソウルの朝鮮ホテルで、初の国際団体である「国際テコンドー連盟(ITF)」が発足された。 以降、第1回アジアテコンドー選手権大会(1968年:香港)、第1回世界テコンドー選手権大会(1974年:カナダ)など、精力的な活動を通し、世界130ヶ国、3800万人に普及する。